歌詞考察|米津玄師「1991」秒速5センチメートルと桜がつなぐ記憶

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米津玄師の新曲「1991」は10月10日公開の映画「秒速5センチメートル」の主題歌となっています。

この記事では米津玄師」の「1991(ナインティーンナインティワン)」の歌詞の意味について考察と歌詞に含まれるワードについての豆知識を書いています!

気軽に楽しみながら豆知識を増やしていきましょう〜!

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君の声が聞こえたような気がして
僕は振り向いた
泣いて 泣いては 僕は生まれた
靴ばかり 見つめて生きていた

ねえ こんなに簡単なこと
続けなかったんだ
優しくなんてなかった
僕等はいつまでも
君といたかった

雪のように
ひらり ひらり 落ちる桜
君のいない 人生を 辿れるだろうか

※歌詞は現時点で判明している部分を耳コピしたものになります。

それでは歌詞考察と豆知識を合わせて書いていきます!

君の声が聞こえたような気がして ― 幻聴が示す「記憶の残像」

「君の声が聞こえたような気がして」という歌詞は、実際に声を聞いたのではなく、記憶に焼きついた幻聴のような感覚を表しています。
心理学では、こうした体験を「感覚記憶の再生」と呼び、強い感情体験が聴覚や視覚を伴ってよみがえることがあります。
まさに、貴樹が30歳を前にして過去を引きずる姿そのものです。

生徒
生徒

「これって幻聴っぽいけど、病気じゃなくて“記憶の強さ”から来るものなんだね」

豆知識専門家
豆知識専門家

「そうそう。特に初恋や別れの記憶は脳の扁桃体と強く結びついてるから、ふとした瞬間に“声がした”って感じることがあるんだよ」

生徒
生徒

「なるほど、だから映画のラストシーンでも、現実と記憶が交錯するんだね」

雪のように落ちる桜 ― 季語と秒速5センチメートルの象徴

歌詞に登場する「雪のように ひらりひらり落ちる桜」は、映画タイトル「秒速5センチメートル」を直接連想させます。
桜の花びらが散る速さが秒速5センチとされるのは、まさに二人の距離が少しずつ離れていく象徴でした。

ここで注目したいのは、桜が「雪」に例えられていること。
日本文学では、桜は春の季語、雪は冬の季語ですが、この二つを重ねることで「時間を越えた儚さ」が強調されます。
つまり、この比喩は季節を超えて記憶が胸に降り積もるイメージを与えているのです。

生徒
生徒

「雪と桜って、真逆の季節を表すのに、どうして一緒に描かれるんだろう?」

豆知識専門家
豆知識専門家

「実は古典文学でも“桜は散る時、雪のように見える”ってよく書かれてるんだよ。雪と桜を重ねることで“儚さの二重奏”になるんだ」

生徒
生徒

「なるほど、秒速5センチの世界観にぴったりだね」

タイトル「1991」が示すもの ― 記憶の原点

曲のタイトル「1991」は、まさに貴樹と明里が出会った年を指しています。
物語の時間軸に沿って考えると、この年は「すべての記憶が始まった起点」です。

1991年は日本社会にとっても転換点でした。
バブルが崩壊し、個人の「夢」や「未来像」が揺らぎ始めた時代です。
貴樹の閉塞感や孤独感は、ただの恋愛だけでなく時代背景とも響き合っているのです。

生徒
生徒

「1991年って、ただの出会った年ってだけじゃないんだね」

豆知識専門家
豆知識専門家

「そう。当時は社会全体が“失われた時代”に突入する直前。個人の夢や希望も揺らいでいて、歌詞の孤独感とリンクしてるんだよ」

生徒
生徒

「なるほど、時代と個人の感情が重なってるのか…深い」

「1991」という曲は、単なるラブソングではなく、人生のある一点に縛られた人間の心情を描いています。
「君といたかった」という素直な叫びは、時代を経ても薄れることのない記憶の重みを示しています。そして「雪のように散る桜」のイメージは、秒速5センチメートルという映画の核心、すなわち「距離と時間が人を引き離す残酷さ」を象徴しています。

タイトルに刻まれた「1991」は、ただの過去ではなく、「二人が永遠に取り残された年」。
この歌は、過去に縛られた人の心の痛みを、優しい旋律にのせて伝えているのです。

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