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2024年8月9日に「familie」が配信リリースされました!
この曲はHonda新型「FREED」の新CMソングに起用されています!
今回はそんな「Mrs. GREEN APPLE」の「familie」の歌詞の意味について徹底考察とSNSでの反応もまとめましたのでぜひ読んでみてください!
この記事を読んで分かること
○ 「familie」の歌詞の意味について考察
○ 「familie」についてのSNSでの感想など
Mrs. GREEN APPLE(ミセスグリーンアップル) familie 歌詞の意味!
君に見せたい
景色がある
僕の「好き」を
どう思ってくれるかな
君にあげたい
全てがある
言い過ぎな気もするけど
だから
どうか どうか
その瞬きの側に居させて
時代の車輪に
僕らが燃料となり
乗せてゆく
どこまでが
ただ、愛と呼べんだろう
僕に運ばれる街
世界は知るんだろう
どこからか
また、始まるはヒストリー
感触は褪せてしまうけど
確かなメモリアル
温かな大事なモノ
唯一のファミーリエ
この曲のタイアップはホンダ車の「FREED」という車です。
FREEDは社内が広々スペースで「家族」で乗るには最高の車です!
この曲のキーワードは「車」「家族」となっているようです。
歌詞の冒頭では「君に見せたい 景色がある」「君にあげたい 全てがある」とあり、大切な人とドライブしているような描写から始まり、「僕に運ばれる街 世界は知るんだろう」「確かなメモリアル」徐々に家族になっていくような感じに思えますね!
1番では、大切な人と思い出を重ねていき「家族」になるまでを描いている感じがしています!
僕に見せたい
景色がある
いつか自分を
認めてあげられるかな
いつの間にか
全てじゃなく
譲れないところが増えてゆく
でもね
どうかしてんじゃないかと思う
恋をする日も来る
時代の車輪に
いつしか一部となり
呑まれてゆく
これからだ
さぁ、人になりましょう
終わらない旅路に膝をつく
たらい回しってやつでしょう
心にも無いような
言葉でいがみ合えど
解けない魔法と現実
いつかのメモリアル
ささやかで慣れがある場所
ほんとはユーフォリア
あの日の後部座席の窓から
見えた
見えた
どこまでが
ただ、愛と呼べんだろう
風に運ばれる度に
ひとりを知るんだろう
ここまでが
ただ、序章と呼べんだろう
終わらせ方は僕次第
泣けるエンドを
どこからか
また、呼ばれるは僕と君
感情は忘れないでしょ?
確かなメモリアル
心が帰れる場所
愛しのファミーリエ
2番では「僕に見せたい 景色がある」「恋をする日も来る」など家族を持ち幸せを感じることができたということを子供のころの自分に言い聞かせているような描写です。
あの頃の自分に対して、これから先「時代の車輪に いつしか一部となり 呑まれてゆく」「終わらない旅路に膝をつく」しんどいことがたくさん待っている。
けれど「いつかのメモリアル ささやかで慣れがある場所」小さい頃の家族での思い出が「ユーフォリア(イタリア語で幸福感)」だったことを忘れないように生きてください。
「あの日の後部座席の窓から」は子供の時に何気なく見ていた景色。
そして、ラストの方では「序章と呼べんだろう」一人で生きていた時代はまだ序章、ここからは自分が家族をもち幸せを与える側になっていく。
「終わらせ方は僕次第 泣けるエンドを」大切な「家族」を守り抜き幸せな人生を迎えたい。そんな壮大な人生を歌っているように感じました。
Mrs. GREEN APPLE(ミセスグリーンアップル) familie SNSでの反応
他にも、「ホンダ社で働いていることが誇らしく思えた」というホンダ社員さんからの反応も何個かありました!!
Mrs. GREEN APPLE(ミセスグリーンアップル) familie まとめ
「家族」というワードでも、自分が子供の頃に見ていた家族と、これから自分が築きあげていく家族の両面からの捉え方をしている歌詞にすごく感動しました。
特に「あの日の後部座席の窓から」という歌詞ですが、大人になった今は運転席か助手席が多いですが、後部座席の窓からという表現だけで、何となく子供の頃の思い出を蘇らせてくれる素敵な歌詞だと思いました。
ここまで見ていただきありがとうございました。
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