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WANIMA(ワニマ)の新曲「▽おっかない▽」は9月26日上映の映画「俺ではない炎上」に主題歌となっています。
この記事では「WANIMA(ワニマ)」の「▽おっかない▽」の歌詞の意味についての考察と歌詞に含まれるワードについての豆知識を書いています!
気軽に楽しみながら豆知識を増やしていきましょう〜!
WANIMA(ワニマ) ▽おっかない▽ 歌詞
名前は何?顔も知らない
お前は誰だよ
情緒バグる ノイズ揺らぐ感情 怒り叫ぶ発狂
生贄のよう 偽善の迷路 否定は威勢よくダダダ連呼
指だけ動かす無力な兵隊 次は誰の番だ?
でもね、、
俺じゃない 俺じゃない 俺じゃないよ
無責任な正義
スクロールされる俺の人生
逃げ場もなくて
もぅ嗚呼 おっかいないね
燃やしといて知らんぷり まじでそう
焼け跡残して
冷たい炎 拭えない業 Wow
刺さったままの正義のナイフを
罠にまみれた腐った戦場
間違えたら それも罪?黙ってたならこれも積み?
ってバイバイ もうバイバイ 限界
(SAYONARA I’ ll be back soon)
被害者ヅラの傍観者
煽ってバズった思考停止のカバ
お前の言葉は誰に刺さった?
狙った相手も弱いヤツばっか
名前も顔も出せずにバラ撒く罠
それで気持ちよくなってるバカ
これは祈り呪いでもない。
聞いて逃げろ。 それが “お前のへ裁き” だ。
だから、、
そうじゃない そうじゃない そうじゃないよ
いいねだけが正義?
検索 更新される俺の人生
笑ってんのか?
誰かを裁くお前らも同罪
声が届かない だけどもう逃げない
燃やされて残るものを知れ阿保
焼け跡 裸足で
癒えないまま 灯す証を Wow
叩きたいだけ ただの娯楽だろ?
俺はここ お前今どこ?笑笑
明日は我が身で
燃やしといて知らんぷり まじでそう
焼け跡残して
冷たい炎 拭えない業 Wow
刺さったままの正義のナイフを
罠にまみれた腐った戦場
間違えたら それも罪?黙ってたなら これも積み?
ってバイバイ もうバイバイ 限界
縛って抱いたまま
お前の正義 操る支配も
偽る願いも 腐り果てた愛も
壊して誓いも 砕け散る未来も
奪い取る正体も 染み付いた不快も
夜の戯れも 欲の違いも
避けても待っても 血は止まらないの
燃やし尽くして 総じて おっかない
これが俺の答えだ
燃やされた声の最後の火だ
笑ってたやつが1番人をころ****
WANIMA(ワニマ) ▽おっかない▽ 歌詞考察と豆知識
映画「俺ではない炎上」と歌詞のシンクロ部分をピックアップしてみました!
- 「スクロールされる俺の人生」→泰介の写真やメッセージが拡散される序盤〜中盤のモンタージュに重なる。観客はスクロールで流れる証拠写真のスピード感を通じて“裁判前の判決”を目撃する。
- 「刺さったままの正義のナイフ」→人物が一度流した噂が取り消せない事実を示す、終盤の追い詰めシーンとシンクロします。
- 「被害者ヅラの傍観者」→サクラや初羽馬たちのSNS投稿と、それに乗るフォロワー群の描写に対応。楽曲は“見ている側の言い訳”をえぐります。
つづいては曲タイトル「▽おっかない▽」の考察と伏線回収
「おっかない」は方言や口語で「怖い」「恐ろしい」をやや軽い語感で言う言葉です。
本作のタイトルカッコ(▽)が示すように、対外的には“かわいらしく・軽く”表現しているが、実態は“どす黒い恐怖”が含まれている――そんな二重性を歌と映画が共有しています。
歌詞で何度も繰り返される「燃やしといて知らんぷり」「笑ってんのか?」というフレーズが、曲タイトルの“軽い恐怖”=「おっかない」の本質(安易に人を燃やすことの醜悪さ)を回収しています。
「▽おっかない▽」は、現代の“スマホ時代における群れとしての裁き”に対する痛烈な告発です。歌詞全体を通じて伝わるのは、匿名で加担することの倫理的怠慢と、その怠慢が被害者に与える回復不能な傷の深さ。映画『俺ではない炎上』のプロット(泰介が無実を訴え続けるがデマで焼かれる過程)と楽曲は互いに補完し合い、「見ているだけでは済まされない」という強い道徳的問いを投げかけます。タイトル「おっかない」は、その問いかけを軽やかに隠すカモフラージュであり、ラストの“燃やされた声の最後の火”が示すように、忘れ去られない抵抗の象徴でもあります。つまり、タイトルは「見た目の軽さ」によって真の“恐怖”を隠す装置になっているのです。
公開処刑としての炎上
注目フレーズ:
「スクロールされる俺の人生」「燃やしといて知らんぷり」
このフレーズは、タイムラインや検索結果を通して“個人の人生が商品化される”瞬間を鋭く描写しています。
映画で泰介のプライベートが次々と拡散され、通勤路や家族関係まで踏み荒らされる描写と重なります。
誰かの“顔”や“名前”が一瞬で無垢な情報→消費対象へと変わってしまう恐怖がここにあります。

かつての公開処刑や見世物(見世物小屋)は、共同体の“可視的な裁き”と娯楽を兼ねていました。
近代のネット炎上は、それをデジタル化したものです。
違いは速度と匿名性で、情報は瞬時に世界に広がり、実行者の顔は見えないまま被害者だけが晒される点が決定的に残酷です。
映画のカメラワークで“群衆”が見えない点が、まさにこの歴史的連続性を現代に置き換えています。
業(ごう)とカルマの視点
注目フレーズ:
「でもね、、俺じゃない 俺じゃない」「刺さったままの正義のナイフを」「拭えない業」
ここで歌われる“正義”は、自己満足的な制裁衝動です。
映画では、真犯人を追う過程で“正しさ”を振りかざす人物たちが結果的に泰介を追い詰める。
歌詞の繰り返し「俺じゃない」は、被害者でも加害者でもない“被焼者”の必死の否定を象徴します

「業」はサンスクリット語のkarma(カルマ)に由来し、仏教語として日本語に定着しています。
本来は「行為」とそれに伴う結果を指します。
歌詞の「拭えない業」は、ネットで人を燃やした側にも返ってくる“帰結”を暗示していて、単なる比喩以上に倫理的な問いを投げかけます。
映画で“追う側”が抱える罪や後戻りできない行為が、まさにこの「業」に当たるわけです。
言葉の歴史とネットスラングの力学
注目フレーズ:
「被害者ヅラの傍観者」「いいねだけが正義?」「名前も顔も出せずにバラ撒く罠」
ここでは“表面上の同情”と“匿名の攻撃”が対置されています。
映画に登場するインフルエンサーや大学生たちが、画面越しに煽り、実像のないバイラルを作る様は、この歌詞と完全に合致します。
歌詞の皮肉は、表面的な正義感に酔う行為そのものを批判している。

「づら」は古語で「面(つら)」の変化形に由来します。
現代日本語で「〜ヅラをする」は「〜の顔(ふり)をする」という意味合いを持ちます(例:「被害者ヅラ」=被害者の顔をする)。
また「いいね」は英語の”like”から派生したSNS用語ですが、心理学では行動の“合図”や“社会的承認”として作用しやすく、承認欲求を満たすために深く考えずに押されることが多い。
つまり「いいねだけが正義?」は、“形式的な承認=倫理”と錯覚する現代病を突いています。
WANIMA(ワニマ) ▽おっかない▽ 歌詞考察と豆知識 まとめ
「▽おっかない▽」は、現代の“スマホ時代における群れとしての裁き”に対する痛烈な告発です。
歌詞全体を通じて伝わるのは、匿名で加担することの倫理的怠慢と、その怠慢が被害者に与える回復不能な傷の深さ。
映画『俺ではない炎上』のプロット(泰介が無実を訴え続けるがデマで焼かれる過程)と楽曲は互いに補完し合い、「見ているだけでは済まされない」という強い道徳的問いを投げかけます。
タイトル「おっかない」は、その問いかけを軽やかに隠すカモフラージュであり、ラストの“燃やされた声の最後の火”が示すように、忘れ去られない抵抗の象徴でもあります。
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