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ハンバート ハンバートの新曲「笑ったり転んだり」は9月29日放送開始の連続テレビ小説『ばけばけ』の主題歌となっています。
この記事では「ハンバート ハンバート」の「笑ったり転んだり」の歌詞の意味についての考察と歌詞に含まれるワードについての豆知識を書いています!
気軽に楽しみながら豆知識を増やしていきましょう〜!
ハンバート ハンバート 笑ったり転んだり 歌詞
毎日難儀なことばかり
泣き疲れ 眠るだけ
そんなじゃダメだと怒ったり
これでもいいかと思ったり
風が吹けば消えそうで
おちおち夢も見られない
何があるのか どこに行くのか
わからぬまま家を出て
帰る場所などとうに忘れた
君とふたり歩くだけ
日に日に世界が悪くなる
気のせいか そうじゃない
そんなじゃダメだと焦ったり
生活しなきゃと坐ったり
夕日がとても綺麗だね
野垂れ死ぬかもしれないね
何があるのか どこに行くのか
わからぬまま家を出て
帰る場所などとうに忘れた
君とふたり歩くだけ
黄昏の街 西向きの部屋
壊さぬよう戸を閉めて
落ち込まないで 諦めないで
君のとなり歩くから
今夜も散歩しましょうか
※歌詞は現時点で判明している部分を耳コピしたものになります。
ハンバート ハンバート 笑ったり転んだり 歌詞考察と豆知識
それでは歌詞考察と豆知識を合わせて書いていきます!
「泣き疲れ眠るだけ」―日常の中の“難儀”という言葉の重み
冒頭のフレーズ「毎日難儀なことばかり」。ここに込められた“難儀”という言葉は、現代では「大変」「苦労」といった意味で使われますが、古くは仏教用語に由来しています。
“難儀”はもともと「修行の妨げとなる苦難」を指し、人の成長や悟りに立ちはだかる試練のことを意味していたのです。
この視点で読むと、主人公の「泣き疲れ眠るだけ」という弱音さえも、ただの無気力ではなく“人生修行の一部”として描かれているように見えてきます。
つまり、転んでもまた笑う、その繰り返しが人間の生きる姿だと示しているのです。

“難儀”は仏教語に由来し、修行や悟りを妨げる苦しみを表していました。
単なる「苦労」以上に、人生そのものを深く象徴する言葉なのです。
「夕日がとても綺麗だね」―夕日と“野垂れ死に”の組み合わせの意味
歌詞の中でも異彩を放つのが「夕日がとても綺麗だね/野垂れ死ぬかもしれないね」という対比。
美しさと死が並べられるのは、一見ブラックユーモアのようですが、実は日本の古典文学にも通じる表現です。
たとえば『徒然草』や『方丈記』には、夕暮れの美しさと人の無常を並べて描いた箇所が多く存在します。
夕日は「一日の終わり=人生の黄昏」を象徴し、そこに「野垂れ死ぬかもしれない」と付け足すことで、死の影さえも共に笑い飛ばすようなユーモアへと転化しています。
主人公たちは、世界が悪くなっても、未来が不確かでも「二人で歩いている」ことに意味を見出しているのです。

「夕日と死」を並べる表現は古典文学に由来する無常観です。
西行や兼好法師の作品でも、夕暮れは“人の命の終わり”を象徴するものとして描かれていました。
「黄昏の街、西向きの部屋」―西方浄土と“歩く”ことの宗教的な含意
終盤の「黄昏の街 西向きの部屋」というフレーズは、仏教的な象徴を帯びています。
仏教では“西”は阿弥陀仏の浄土がある方角とされ、死後に往生を願う対象でした。
つまり「西向きの部屋」とは、ただの間取りではなく「死と向き合う場所」なのです。
それでも歌詞は「落ち込まないで 諦めないで/君のとなり歩くから」と続きます。歩くという行為は、西洋でも「人生の旅路」の象徴であり、仏教でも「行(ぎょう)」=修行の一形態とされています。つまりここでの“散歩”は単なる日課ではなく、「死や不安を笑いながら受け入れ、それでも一緒に歩き続ける」という強い生き方の表明なのです。

仏教では西方浄土が極楽浄土の方角とされており、「西向き」は死後の安らぎを象徴します。
歌詞にある「散歩」は、その死生観を乗り越える日常の修行のような意味合いを持っています。
ハンバート ハンバート 笑ったり転んだり 歌詞考察と豆知識 まとめ
「笑ったり転んだり」というタイトルは、ただの気まぐれな日常を歌うものではなく、「人生の苦しみや死の影をも笑いと歩みに変える」ことを示す言葉です。
仏教由来の“難儀”、古典文学に見る“夕日と死”の結びつき、そして“西向き”の宗教的象徴。
これらが重なり合い、この歌詞は「どんな時代の荒波でも、人は笑い、転び、また歩く」という普遍的なメッセージを伝えています。
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