【PR】本ページはアフィリエイト広告による収益を得ています。
この曲は8月29日に公開される劇場アニメ『不思議の国でアリスと -Dive in Wonderland-』の主題歌となっています。
この記事では「SEKAI NO OWARI(セカイノオワリ)」の「図鑑」の歌詞の意味についての考察と歌詞に含まれるワードについての豆知識を書いています!
気軽に楽しみながら豆知識を増やしていきましょう〜!
SEKAI NO OWARI(セカイノオワリ) 図鑑 歌詞
水を知らない魚の様に
今ある物には鈍感な僕ら
ありのままじゃ居られなかった
自分だけ違う図鑑の生き物みたいに
枯れていて 膝をついた
それでも日々を続ける僕らまるで
茹だる夏に生きるシロクマ 闇に咲く花
呼吸する為の空気が目減りする中で
居場所を探している そんな生き物なんだ
図鑑にはいない 僕と君は
銀世界かけるライオン 水中のサボテン
呼吸するための空気が少ないんだったら
アザミの綿毛のように 飛んでいけどこまでも
根を張る場所 探し求めて
光を知らない花のように
手にした物には傲慢な僕ら
ありのままであなたは充分だわ
そんな欺瞞がこの街を美しく飾ったけど
肥えていて乾いていた
それでも夜明けを待つ僕らまるで
雷鳴に空飛ぶコウモリ 炎天下のペンギン
呼吸する為の空気が目減りする中で
居場所を探している そんな生き物同士
出会ったのかな?僕と君は
電線に止まったペリカン 大都会の蛍
この街で暮らす僕らの呼吸をする音
確かに存在してる ここにいるって叫んでる
図鑑にはいない 僕と君は
茹だる夏に生きるシロクマ 闇に咲く花
呼吸をする為の空気が目減りする中で
居場所を探している そんな生き物なんだ
図鑑のページに風が吹いていく
アザミの綿毛のように飛んでいけどこまでも
根を張る場所 探し求めて
SEKAI NO OWARI(セカイノオワリ) 図鑑 歌詞考察と豆知識
それでは歌詞考察と豆知識を合わせて書いていきます!
「茹だる夏に生きるシロクマ」──生息域を超えた違和感に潜むメッセージ
茹だる夏に生きるシロクマ 闇に咲く花
この一節に込められたのは、“場違い”という感覚です。
シロクマは本来、北極圏という極寒の地で生きる動物。
そんな彼が“茹だる夏”に置かれるという状況は、まさに「生きる環境を間違えた」ことを象徴しています。
これは、自分の居場所がどこか分からない、もしくは社会の“当たり前”とされる枠組みにうまくフィットしない僕や君の姿と重なります。
そして「闇に咲く花」──これは一見美しいけれど、日光を知らずに咲いた異端の象徴。
どちらも、“図鑑には載っていない”、つまり「定義されない存在」の比喩です。

「“茹だる”って言葉、日常でよく使うけど、実は元は“茹でる”の尊敬語なんだよ」

「え、尊敬語?じゃあ“夏に敬って茹でられる”って意味なの?」

「ちょっと笑っちゃうけど、実際は“茹だるような暑さ”っていう形で“身体が煮えるほど暑い”っていう強調表現になるんだ。
しかも“シロクマ”は熱に弱くて、実際に動物園でも夏場はプールと冷房必須」

「つまり“茹だる夏のシロクマ”は、本来いないはずの苦しい場所に無理やり存在してるってことか。まるで無理して社会に適応してる自分たちみたいだね」

「そうそう、“図鑑”っていう“世界の正解集”に当てはまらない僕らを動物に例えてるのが、この歌詞の粋なところなんだよね」
「アザミの綿毛のように」──トゲと儚さを併せ持つ存在としての僕ら
アザミの綿毛のように 飛んでいけどこまでも
ここでは“アザミ”という植物が鍵です。
アザミは見た目に美しいですが、茎や葉に鋭いトゲがあり、他の植物や動物を寄せ付けません。
しかし、そんなトゲだらけの植物も、花が終われば“綿毛”をつけて旅立ちます。
つまり、この比喩が示しているのは「傷つきやすく、同時に他人を傷つけてしまう自分たち」──でもそれでも、居場所を探して風に乗る希望を捨てていない、ということです。

「アザミってなんかトゲトゲしてるって印象しかなかったけど、綿毛なんてあるんだ?」

「あるある。アザミの種子はタンポポみたいに綿毛で飛ぶんだよ。
でもトゲがあるから人が触れにくいし、英語では“thistle”って言って、スコットランドの国花にもなってる」

「えっ、あんなトゲトゲが国花?なんで?」

「昔、敵がアザミを踏んで叫んでしまい、スコットランド軍がその声で目覚めて勝ったっていう伝説があるんだ。だから“誇り高き防衛者”の象徴なんだよ」

「それ、僕たちみたいだね。傷つきやすくても、立ち上がって前に進む強さがあるってことか」
「図鑑にはいない僕と君は」──カテゴライズできない存在の尊さ
図鑑にはいない 僕と君は
このフレーズがこの曲全体の核心です。
図鑑とは、自然や世界の「分類」や「定義」が整然と記されたもの。
そこには名前がつけられ、特徴が説明され、役割が明示されています。
しかし僕らは、そのどこにも載っていない。分類不能、役割不明、名前のない存在です。
それは「社会からはみ出した者」のようにも見えますが、同時に「まだ名づけられていない、新しい可能性の存在」だとも言えます。

「実は“図鑑”って、日本では江戸時代からあったんだよ。“本草綱目”っていう中国の薬草辞典を元にしたやつが始まりで、植物や魚、昆虫なんかを絵入りで紹介してた」

「へえ、そんな昔からあったんだ。でもその頃は、当然“心の状態”とか“個人の多様性”なんて分類されてないよね」

「そうそう。つまり“図鑑にいない”ってことは、“既存の枠組みでは説明できない”ってことの象徴。現代社会で言えば、ジェンダーやアイデンティティ、多様な生き方そのものだね」

「なるほど。僕たちは分類されないからこそ自由だし、逆に分類されないことで苦しむこともある…でも、それでも“出会えた”ってのがこの曲の希望なんだ」
SEKAI NO OWARI(セカイノオワリ) 図鑑 歌詞考察と豆知識 まとめ
この曲のタイトル「図鑑」は、整然とした“世界の正解集”の象徴です。その中に「載っていない存在」である僕と君は、社会の枠組みに当てはまらない、あるいはそこからはみ出してしまった者たち。
しかし、分類されない存在には「未知」という力が宿ります。
「茹だる夏に生きるシロクマ」も「闇に咲く花」も、「水中のサボテン」も「電線に止まるペリカン」も、それぞれが“ここではないどこか”を生きる不思議な生命たち。そしてそれは、私たちが日常で感じている違和感や息苦しさのメタファーでもあるのです。
「図鑑にはいない」存在こそが、本当は最も“生きている”と叫んでいる──
そんな視点からこの曲を聴き直すと、自分のことを少しだけ誇らしく思えるかもしれません。
コメント