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ミーマイナーの新曲「愛の排水口」はABEMAオリジナル恋愛リアリティショー「隣の恋は青く見える -Chapter TOKYO-」の挿入歌となっています。
この記事では「ミーマイナー」の「愛の排水口」の歌詞の意味についての考察と歌詞に含まれるワードについての豆知識を書いています!
気軽に楽しみながら豆知識を増やしていきましょう〜!
ミーマイナー 愛の排水口 歌詞
最後の言葉が 喉の奥に詰まって
絡まったままで ひとつも出てこないんだ
我慢してたのはあなただっていうのに
僕のことばかりで自分が嫌になる
振り向きもしないで君は がちゃんとドアノブを閉めた
もう二度と会えないんだね ほんとに出て行くんだね
掴む後ろ髪すらなかった 君は排水口に流して行ったから
後を濁さないあなたの髪の毛だけが
絡まったままで 排水口に残った
2人で歩んだ幾何の歴史の
最後の証拠が渦を巻いて黒になる
躊躇いもしないで 僕はつまんでゴミ箱に捨てた
だってもう愛はいらなくて だからこの情もいらなくて
君は全部水に流し忘れちゃうけど
燃えたぎる恋にのぼせて 生温い愛に浸った
僕の身体は君で埋め尽くされている、今も
もう一度会いたくなって 排水口の蓋を覗いた
見るに耐えないな でも心のどこかにしまっていたい
もう二度と会えないんだね ごめんねさよなら元気でいて
掴む後ろ髪すらなかった 君は排水口に置いて行ったまま
全部 綺麗な水に流して去ってった!
ミーマイナー 愛の排水口 歌詞考察と豆知識
それでは歌詞考察と豆知識を合わせて書いていきます!
排水口に“愛”を流すとは何を意味するのか
注目フレーズ:掴む後ろ髪すらなかった 君は排水口に流して行ったから
この歌詞の核心は、タイトルにもある「排水口」。
排水口は本来、汚れや不要物を“流してしまう場所”です。
つまりここでは、愛の記憶や感情すら「処理されるもの」に変わってしまったという比喩が使われています。
特に「後ろ髪を掴む」という表現は、古くから「未練」「引き止めたい気持ち」の象徴として使われてきました。
その“後ろ髪すらなかった”という表現は、主人公が「引き止める余地が何ひとつ残されていない絶望の瞬間」にいることを示しています。

後ろ髪を引かれるという言葉は、平安時代の思想に由来するとされています。
当時は「髪は魂の依り代」と考えられており、旅立つ人の後ろ髪を引く行為は“魂を引き止める=未練を残す”とされていました。
この歌詞で後ろ髪が「ない」ことは、魂のつながりすら絶たれてしまった決定的な別れを象徴していると言えます。
この視点で見ると、タイトル「愛の排水口」は“魂のつながりまで水に流されてしまう場所”という意味に深く関わっていることが分かります。
髪の毛が“黒く渦を巻く”のは何を暗示しているのか
注目フレーズ:2人で歩んだ幾何の歴史の 最後の証拠が渦を巻いて黒になる
ここで描かれる「髪の毛が渦を巻いて黒くなる」という描写は、単なる物理現象ではありません。
髪は文化的に“記憶・生命力・執着”の象徴として扱われてきました。
日本では古くから、断ち切りたい過去を象徴的に「髪を切る」ことで表現する文化があります。
しかしこの歌詞では、切られた髪は“排水口に残り続ける”。
つまり、別れたはずの記憶が物理的にも心理的にも「排水口という地下の象徴的な場所」で腐敗し続けているわけです。

平安文学では髪は「恋の象徴」として度々登場しました。
例えば『源氏物語』でも、愛した人の髪を忘れられない描写が多く存在します。
西洋心理学でも髪は「記憶の糸」「執着の象徴」として扱われています。
髪が渦を巻く描写は、記憶が循環し、出口のない未練に変わっていく心理を映しているのです。
「黒くなる」という表現は、腐敗ではなく“感情の沈殿”を暗示しているとも読めます。
排水口を覗き込む行為が示す“供養”としての別れ
注目フレーズ:もう一度会いたくなって 排水口の蓋を覗いた
これは非常に象徴的な行動です。
終わった恋の“残滓”が眠る場所を覗き込むのは、未練そのものを自分で確認しに行く行為です。
実はこの行動、一種の「弔い(供養)」の儀式性を帯びています。

古代の日本では、井戸や暗い穴は“異界への入口”と考えられていました。
井戸に向かって願ったり、覗き込んだりする行為は“死者に語りかける”儀式としても扱われてきました。
排水口もまた、小さな“地の入り口”として同じ象徴を持っているのです。
主人公は排水口の中に「君の最後の気配」を探し、心の整理をつけようとしているのかもしれません。
ここで“覗く”のは未練を焚き上げるための行為であり、同時に新しい自分に進むための儀式なのです。
ミーマイナー 愛の排水口 歌詞考察と豆知識 まとめ
タイトル「愛の排水口」は、単に“水に流す”という意味ではなく
・魂のつながりの断絶
・記憶の沈殿
・供養としての別れ
という深いテーマを抱えたタイトルであることが分かります。
歌詞全体を通して言えるのは「愛を忘れたいのに忘れられない人の心の葛藤」。
排水口は“忘却と記憶の狭間にある場所”として描かれており、恋の終わりがいかに物質的で、いかに象徴的で、いかに痛いものなのかを映し出しています。

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