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Adoの新曲「風と私の物語」は9月26日上映の映画「沈黙の艦隊」主題歌となっています。
この記事では「Ado」の「風と私の物語」の歌詞の意味についての考察と歌詞に含まれるワードについての豆知識を書いています!
気軽に楽しみながら豆知識を増やしていきましょう〜!
Ado(アド) 風と私の物語 歌詞
風と空と雲と街と私
ああ
きらめく光と夢
抱きしめて
私は 走る
青く澄んだ
空に向かって
出かけよう
風に誘われ
髪をなびかせて
行こう
青く澄んだ
空に向かって
歌うよ
今の私の全てを
あなたに伝えたいから
子供らがはしゃぐ公園の
ベンチに座って
幼き日の豊かなメモリー
思わず口ずさんだ
あの頃の歌
目を閉じて
空気を吸い込んで
風と空と雲と街と私が
今ひとつに溶け合って
やさしい光が
包む交差点
そう歌とあなたと
夢と私の物語
好きさ
風の街
ああ
私は走る
※歌詞は現時点で判明している部分を耳コピしたものになります。
Ado(アド) 風と私の物語 歌詞考察と豆知識
それでは歌詞考察と豆知識を合わせて書いていきます!
青く澄んだ空と「風」に託された自由の願い
歌詞に登場する「風と空と雲と街と私」という並びは、自然と人間、そして文明が溶け合うイメージを描きます。
特に「風」は、古来より自由や解放の象徴とされてきました。
ギリシャ神話では「アネモイ」と呼ばれる風の神々が方角ごとに存在し、運命や戦いの吉兆をもたらす存在として恐れられていました。
この「風に誘われ 髪をなびかせて行こう」というフレーズは、潜水艦〈やまと〉が氷の海を突き進む姿にも重なります。
閉ざされた海中にあっても、彼らの心は「青く澄んだ空」に憧れているのです。

「風」という漢字は、虫(=蛇や竜)をかたどった部分と「凡(おおい)」から成り立ちます。
古代中国では風は竜の息吹と考えられ、人智を超えた力の象徴でした。
歌詞の「風」も、単なる自然現象ではなく、運命を動かす大いなる存在として響いています。
幼き日の歌と「メモリー」が描く戦いの原点
歌詞の中盤には「幼き日の豊かなメモリー」「あの頃の歌」という懐古が描かれます。
ここで思い出される「歌」は、ただの童謡や思い出の曲ではなく、人が生き延びるために心の中で鳴り響く“精神の灯火”を象徴しています。
映画での〈やまと〉が潜航中にモーツァルトを流すシーンと呼応し、戦場にあってなお音楽が人間性を守る手段であることを強調しています。

モーツァルトの音楽は18世紀以来「調和と秩序の象徴」とされてきました。
特に『魔笛』や『ジュピター交響曲』は、自由や光明をもたらす作品として知られています。
潜水艦という極限状況で流れるモーツァルトは、歌詞に登場する「幼き日の歌」と同じく、混乱の中で心を保つための“救済の旋律”なのです。
「夢と私の物語」──個人と国家の運命の交差点
「風と空と雲と街と私が 今ひとつに溶け合って」というフレーズは、個人と社会、そして大きな歴史の流れが交錯する瞬間を描いています。
映画では、〈やまと〉の進路と日本の政治・世界情勢が絡み合い、ひとつの「運命の物語」として描かれます。
歌詞の「夢と私の物語」は、単なる恋愛や青春の歌ではなく、時代を背負った人間一人ひとりの選択の物語と読むことができるのです。

「物語」という言葉の語源は「物」を「語る」から来ていますが、平安時代には「語り草となる出来事」を意味しました。
つまり「私の物語」とは、後世に語り継がれるほどの出来事を自らが紡いでいる、という強い意味を持ちます。
〈やまと〉の戦いが歴史に刻まれるのと同じように、この歌の「物語」も個人の夢を超えた大きな時代性を背負っているのです。
Ado(アド) 風と私の物語 歌詞考察と豆知識 まとめ
『風と私の物語』は、一見すると爽やかな青春ソングのように聞こえます。
しかし、映画の文脈と重ね合わせると、「風」は自由への希求、「幼き日の歌」は人間性の原点、「物語」は時代を超える選択と責任を象徴していることがわかります。
〈やまと〉の冷たい海での戦いを背景に聴くと、この歌は“希望を信じて走り抜ける力”を与えてくれるメッセージソングなのです。
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