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この曲は「綾鷹」のCMソングとして起用されています。
この記事では「宇多田ヒカル」の「Mine or Yours(マインオアユアーズ)」の歌詞の意味についての考察と歌詞に含まれるワードについての豆知識を書いています!
気軽に楽しみながら豆知識を増やしていきましょう〜!
宇多田ヒカル Mine or Yours(マインオアユアーズ) 歌詞
昨日の僕は
僕が思う僕とはかけ離れていた
素直になれず君を泣かせるやつには
失望している
自分を大事にできるようになるまで
なんにも守れない
なにが食べたい? 店探すよ
元気出るまでダラダラしよう
なにか飲むかい? お湯沸かすよ
君はコーヒー 僕は緑茶、いつもの
どの道を選ぼうと
選ばなかった道を失う寂しさとセット
令和何年になったらこの国で
夫婦別姓OKされるんだろう
冷めたら温め直せばいい
不安材料も味付け次第
ずっと一緒にいたいけれど
毎日一緒はしんどいかも
なにかいるかい? 買って行くよ
君はコーヒー 僕は緑茶、いつもの
I love making love to you
掛け違えたボタン
一つ一つ外す
恐る恐る
自由に慣れれば慣れるほど
不自由だって、どうして誰も
僕らに教えてくれなかったの
君はコーヒー 僕は緑茶、いつもの
宇多田ヒカル Mine or Yours(マインオアユアーズ) 歌詞考察と豆知識
それでは歌詞考察と豆知識を合わせて書いていきます!
※「夫婦別姓」問題について否定や肯定している記事ではありません。
《令和何年になったらこの国で/夫婦別姓OKされるんだろう》──“選べない制度”が奪うもの
この歌詞は、優しい日常のなかにふと投げ込まれる一言ですが、実はとても重たい問いかけです。
「夫婦別姓が認められない国に、未来を描けるのか?」という問題提起でもあります。
この問いには、「選ぶ自由」が制度的に制限されている現実があります。
日本では民法第750条によって「夫婦はどちらかの姓を名乗る」と定められており、事実上の「選択肢なし」。この法律が変わっていないことが、実は100年以上続いているのです。

「ねえ、夫婦別姓って、なんでまだ認められてないの?」

「え、なんでって…夫婦って名前を揃えるものでしょ?」

「実はね、日本の現行法では“夫婦同姓”が義務って決められてるんだよ。明治時代からずっと。」

「そんな前から?でも今は価値観も多様になってるのに…。」

「うん。選べないことが問題なんだよ。“選択的”夫婦別姓っていうのは、“同姓を選ぶ自由”も“別姓を選ぶ自由”も両方あっていいっていう考え方なの。」

「つまり“Mine or Yours”じゃなくて、“Mine and Yours”でもよくない?ってことね。」
“Mine or Yours(あなたのか、私のか)”と問いかけなきゃいけない現状が、不自由だと問いかけているようです。
Mine or Yoursという問いが浮かび上がらせる「自他の境界線」
歌詞「昨日の僕は僕が思う僕とはかけ離れていた」からは、「自己とは何か?」という哲学的な問いが立ち上がります。
そしてタイトル「Mine or Yours」は、それが“誰のものか”という問い以上に、“誰であるか”というアイデンティティの輪郭を問う言葉でもあるのです。
この曲では「僕」と「君」の間にある曖昧な距離、混ざり合いそうで決して一体化しない「境界」が何度も描かれます。
それは「Mine=私のもの」でも「Yours=あなたのもの」でもなく、その間に揺れるもの。
<豆知識:ラテン語にみる「Mine or Yours」の思想>

タイトルの「Mine or Yours」って、単に“どっちのもの?”って意味じゃないよね。
もっと哲学的というか。

うん、実は「Mine」や「Yours」って、語源をたどるとラテン語の所有格に行きつくんだよ。
たとえば「meus(私の)」や「tuus(君の)」ね。

へぇ、ラテン語! で、それがどう深いの?

この語源の背景にあるのは「ローマ法」の考え方なんだ。
ローマ法では“誰の所有か”は同時に“誰が責任を持つか”って意味を持ってた。
つまり、何かを所有するってことは、それに対して倫理的・法的な責任を負うことでもあった。

なるほど……ってことは「Mine or Yours」って、単なる恋愛の取り合いじゃなくて、「君のせい? 僕のせい?」っていう責任の問いでもあるのか!

そう。歌詞にある「失望している」の主語も自分自身だったよね。
あれってつまり“誰のものか”というより“誰の責任か”を問うているんだと思うよ!
「君はコーヒー 僕は緑茶」──文化の違いと心の距離を表すペアリング表現
一見ほのぼのとした日常の描写ですが、ここには重要な文化的象徴があります。
【豆知識:飲み物に見る文化と性格の暗示】

なんでわざわざ“君はコーヒー 僕は緑茶”って言うのかな?

「これは文化的なイメージが強いんだ。コーヒーは欧米的・都会的で、能動的・社交的な印象を持たれがち。」

「一方、緑茶は?」

「日本的・静的で、落ち着きや安らぎの象徴。つまりこれは、性格の違いや心のリズムの違いを示してるんだよ。」

「なるほど、ちょっとしたズレや相違も、こうして表現できるのか……」

「でも“いつもの”って言葉があるでしょ?違っても、それが自然になってる関係なんだよ。」
このフレーズからは、違う価値観を持つ二人が、それでも調和を見出していく様子が読み取れます。“違うけど一緒”という関係性が象徴されていて、曲のタイトル「Mine or Yours」にも繋がっていきます。
Mine or Yoursの構造にみる「日常への愛」のかたち
歌詞ラストの「I love taking live to you」というフレーズは、文字通り訳せば「私はあなたに生活を届けるのが好き」となります。
これは英語圏における“love language(愛の言語)”のひとつ、「Acts of Service(奉仕の行為)」の表れです。
恋愛は派手なロマンスではなく、日々の細やかな積み重ね。
Mine or Yoursというタイトルが示すのは、日常という小さな“領域”をどれだけ相手に分け与え、共有できるかということなのです。
<豆知識:愛の言語に見る「Mine or Yours」の実践>

あの「I love taking live to you」って、すごくシンプルだけど深いよね。

うん、これは「愛の5つの言語」っていう心理学理論にも通じると思うよ。

ああ、聞いたことある!「言葉で伝える」とか「スキンシップ」とかあるやつだよね?

そうそう。その中に「Acts of Service(尽くす行為)」っていうのがあって、これは“相手のために何かをしてあげる”ことで愛情を表現するタイプ。

つまり、「何か要るかい? 買っていくよ」っていうのは、すごく典型的な愛の表現なんだ!

そう。だからこの歌は「どっちのもの?」っていう問いを、「どれだけ分け合えるか」に変えてるんだよね。MineとYoursのあいだにあるのは、愛の循環なんだ。
宇多田ヒカル Mine or Yours(マインオアユアーズ) 歌詞考察と豆知識 まとめ
『Mine or Yours』というタイトルは、一見すると“私のものか、あなたのものか”という所有をめぐる問いのように見えます。
でも実際には、アイデンティティ、責任、共生、そして愛のかたちといった、より本質的で深いテーマに踏み込んでいます。
この楽曲が問いかけるのは、“どっちのものか”ではなく、”どうやって共有していくか”という人生そのもののテーマ。
MineでもYoursでもなく、「私たちのもの」になる瞬間こそが、この歌の核心なのでしょう。
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