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ケツメイシの新曲「我が者達よ」は10月31日にデジタル配信。
またリリックビデオを10月31日21時からケツメイシ公式YouTubeチャンネルでプレミア公開!
この記事では「ケツメイシ」の「我が者達よ」の歌詞の意味についての考察と歌詞に含まれるワードについての豆知識を書いています!
気軽に楽しみながら豆知識を増やしていきましょう〜!
ケツメイシ 我が者達よ 歌詞
俺らはいつでも未熟だから
やりたいようにやったらいいさ
やっちまった後悔なんてさ
いつの日か笑える日の為さ
やらなかった後悔だけは
いつまでも心でくすぶるから
踏み出せない 不安な一歩
踏み出せたら 迷わず行こう
何でもいい 何でもいいから
明日より明後日より明々後日
手当たり次第に 夢を漁って
手にする自分なりのサクセス
金や地位や名誉なんて
振り返れば後からついてくる
友や家族や思いだけは
見栄張ってちゃ必ず去って行く
遊び疲れた頃に
思い出し笑いが仲間とできるような
そんな思い出より価値のある
ものなんて、そんなには無いからさ
必要な時には助けなさい
一生懸命に遊びなさい
我が者達よその目を開いて
我が者顔で拳を掲げて
※歌詞は現時点で判明している部分を耳コピしたものになります。
ケツメイシ 我が者達よ 歌詞考察と豆知識
それでは歌詞考察と豆知識を合わせて書いていきます!
挑戦の本質に気づくフレーズ
やらなかった後悔だけは
いつまでも心でくすぶるから
この歌詞の強さは、「失敗より、挑戦しなかった自分の方が痛い」という真実を言い切っているところです。
ケツメイシは多くの人生の曲を作ってきましたが、この曲で初めて「わがままに踏み出せ」と背中を押してくれます。
さらに豆知識として面白いのは、「後悔」という言葉の語源です。

「後悔」の語源は 中国の思想書『論語』 にあります。
原文には「悔いは後にあり」という表現があり、“悔い”は必ず「行動しなかった後」にだけ残ると記されています。
つまり、数千年前から「やらなかった後悔が一番きつい」と言われていたのです。
後悔=後に残る悔い
つまり「未来の自分にツケを回す行為」。
ケツメイシの歌詞と論語が同じことを言っていると考えると、思わず人に話したくなります。
踏み出せない時、この歌詞はこう囁いてくれます。
「未熟でもいい、歩いた先で成長していくんだ」と。
成功の“定義”が変わるフレーズ
金や地位や名誉なんて
振り返れば後からついてくる
サクセス(成功)とは何か?
ケツメイシはこう定義しているように感じます。
成功とは「追いかけるもの」ではなく 「好きと仲間を守った結果ついてくるもの」。
この価値観は、日本の歴史とも繋がっています。

「成功」の語源は 仏教 にあります。
元々「成就(じょうじゅ)」という言葉が使われ、「自分の心が満たされること」を意味していました。
つまり、成功とは 外側の結果 ではなく 内側の満足 を指していたのです。
「成功=結果」ではなく
「成功=心の状態」
現代になって「結果として成功と呼ばれる」と意味が変化しました。
ケツメイシは原点に戻っているのです。
仲間と笑いあい、胸を張れる人生。
それが本当の成功なんだと。
「我が者達よ」タイトルが持つダブルミーニング
我が者達よその目を開いて
我が者顔で拳を掲げて
ここが 最大の伏線回収ポイント です。
曲タイトル「我が者達よ」
普通に読むと “自分達のもの(仲間)” の意味ですが、歌詞の内容と合わせて考えると、もう一つの意味が浮かび上がります。
それは “わがままに生きる者達へ” というメッセージ。

「我が者(わがもの)」は 古語 の「我が(自分の)」からきており
「わがまま(我が儘)」も同じ語源です。
つまり「自分の心のまま生きる者」という意味を持っていました。
「わがまま」は本来
自分の意思を持つ=自立
現代の「自己中心的」というニュアンスとは全く違ったのです。
だからケツメイシはこう言います。
我が者達よ=
自分の人生を、自分のものとして歩め。
拳を掲げるという行為は
「決意の宣言」
「人生を自分の足で歩く宣言」
その象徴なのです。
ケツメイシ 我が者達よ 歌詞考察と豆知識 まとめ
『我が者達よ』は
挑戦し、自分の心に素直に生きるための応援歌です。
やらなかった後悔は燃え続ける
成功とは仲間と笑える人生
わがままは “自分の人生を生きる” ということ
ケツメイシがずっと歌ってきた「人生」のテーマが
この曲で 最終形 に達しています。
 
  
  
  
  

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