歌詞考察|星野源「いきどまり」映画『平場の月』に隠された優しさの意味

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星野源の新曲「いきどまり」は11月14日より上映の映画『平場の月』の主題歌として書き下ろされとなっています。

この記事では「星野源」の「いきどまり」の歌詞の意味について考察と歌詞に含まれるワードについての豆知識を書いています!

気軽に楽しみながら豆知識を増やしていきましょう〜!

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別れが
窓辺を
照らした
鼓動揺れた

寄り添う帰り道で
繋いだ手のひら
いきどまりの二人を
月だけ見ていた
はらりと
糸は解けゆく
幕は降りる

間違いながら
それでもくれた
優しさを

※歌詞は現時点で判明している部分を耳コピしたものになります。

それでは歌詞考察と豆知識を合わせて書いていきます!

別れが窓辺を照らした

光ではなく “別れ” が照らす、という逆転した表現

通常、窓辺を照らすのは朝日や月明かりです。
しかしこの歌詞では、窓を照らすのが「別れ」です。
別れが光のように差し込む。
終わりが訪れた瞬間を「光」で描くのは、とても切ない表現です。

恋の終わりは暗闇ではなく、むしろ“はっきりと見えるようになる瞬間”。
これまで曖昧にしていた気持ちや現実が、光に照らされて見えてしまう。
だから「鼓動揺れた」。胸の奥が動揺してしまうのです。

豆知識専門家
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映画『平場の月』では、月が象徴的に使われています。
月は古くから「別れ」や「無常」を象徴する存在として和歌にも頻出します。
「月を見ると人を思い出す」という発想は、平安の時代からありました。
つまりここで照らした光は、単なる物理的な明かりではなく“感情の照らし出し”です。

「繋いだ手のひら」と「いきどまりの二人」

手のひら=掌。漢字に潜む意味から見える、関係の行き止まり

帰り道で手を繋ぐ。
それはまだ、離れたくないという気持ちがあるからです。
だけど、歌詞は「いきどまりの二人」と続きます。
手を繋いでいても道は続かない。
未来に進めない恋であることが、静かに示されています。

ここで注目したいのが「掌(てのひら)」という漢字です。

豆知識専門家
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掌(てのひら)には「支配する」「扱う」という意味も含まれます。
つまり“相手を完全に理解しようとする気持ち”が宿る場所。
手を繋ぐという行為は、相手を理解したい、つなぎ止めたいという願いの象徴です。
しかし「いきどまり」というタイトルは、その願いが報われないことを示します。

糸は解けゆく 幕は降りる

恋を“糸”と“舞台”で描く二重構造

「糸が解ける」と「幕が降りる」。
これは恋の終わりを「工芸」と「演劇」という二つの比喩で表しています。

糸が解ける=人との縁がほどけること。
幕が降りる=物語の終わり。
愛がひとつの舞台だったことを示しています。

豆知識専門家
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日本語の「縁(えん)」は、仏教の概念「縁起」から来ています。
縁=人と人を結ぶ“見えない糸”。
西洋では運命を糸で表すのはギリシャ神話にありますが、日本では特に「赤い糸」の文化があります。
だから糸が解けるのは、ただの別れではなく「縁の解消」を意味します。

そして最後の言葉。

間違いながら
それでもくれた
優しさを

この部分に、恋が終わっても「感謝」が残るという成熟した視点があります。
終わりを憎まない。
いきどまりでも、愛はあった。

恋は、必ずしも未来に続くとは限らない。
それでも、その瞬間に確かに存在した優しさは消えない。
月は、誰にも気づかれない恋の終わりを静かに見届ける存在。
いきどまりとは「終わり」ではなく、「優しさを抱いて前へ進む地点」なのです。

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