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マカロニえんぴつの新曲「いつか何もない世界で」は9月4日開催された【10th Anniversary Live 『下北沢SHELTER』】にて初披露された楽曲となっています。
この記事では「マカロニえんぴつ」の「いつか何もない世界で」の歌詞の意味についての考察と歌詞に含まれるワードについての豆知識を書いています!
気軽に楽しみながら豆知識を増やしていきましょう〜!
マカロニえんぴつ いつか何もない世界で 歌詞
かわいい人
夢でまた会えたら何を話せばいいの
よそ行きの服も着てない
苦しい日を
笑いながら泳ぐ君にどうか幸あれ
涙を隠す雨よ降れ
いつか何もない世界で踊りながらキスをしよう
きっと世界じゃ今日も誰かが愛を詠う
かわいい人 たまに忘れるくらい
でも、かなしくないのが悲しくない?ないない
いつか何もない世界で踊りながらキスをしよう
そうでなくとも ぼくからきみに愛を歌う
いつか嘘のない世界で はじめての嘘をつこう
きっと世界じゃ今日も誰かが愛を詠う
そうであるように、ぼくにも歌う愛がある。
マカロニえんぴつ いつか何もない世界で 歌詞考察と豆知識
それでは歌詞考察と豆知識を合わせて書いていきます!
「夢でまた会えたら」―現実を超える出会いのかたち
歌詞の冒頭には「かわいい人 夢でまた会えたら何を話せばいいの」とあります。
ここで印象的なのは「夢で会う」という表現。夢の世界は現実とは異なり、制約や物理的な距離を超えて人と人が出会える場所です。
つまり、ここでの「夢」は単なる睡眠時の幻想ではなく、理想郷やもう一つの現実を指しているのかもしれません。
さらに「よそ行きの服も着てない」と続く点も重要です。
これは虚飾を脱ぎ捨て、ありのままの姿で相手に向き合うことを意味します。
人は普段、社会的な「よそ行きの服」を着て振る舞いますが、夢の中ではそうした仮面が不要になるのです。

古語において「夢」は単なる睡眠中の幻影ではなく、「儚いもの」「はかなく消える出会い」を象徴する言葉でもありました。
『徒然草』にも「夢と知りせば覚めざらましを」とあるように、夢は「叶わない願望」と結びつけられてきた歴史があります。
この歌詞に登場する「夢で会う」という表現は、そんな古典的な解釈を踏まえると、「叶わぬ再会」への切なさを含んでいるとも言えるでしょう。
「いつか何もない世界で」―ゼロから始まる愛の可能性
サビに繰り返し登場するフレーズ「いつか何もない世界で踊りながらキスをしよう」。
ここでの「何もない世界」とは、一見すると荒涼とした虚無をイメージしますが、実は「余計なものがない純粋な世界」とも解釈できます。
つまり、過去の痛みや社会のしがらみを脱ぎ捨てた、白紙のキャンバスのような場所なのです。
そして「踊りながらキスをしよう」という表現は、動と静、無垢と情熱の両立を表しています。
愛という行為を「踊る」ことに重ねることで、それが生きることそのものの祝祭のように描かれているのです。

哲学的に「無(nothing)」は重要なテーマです。
西洋哲学ではニーチェが「虚無(nothingness)」を語り、東洋哲学では仏教が「空(くう)」という概念を説きました。
「空」は単なる無ではなく、すべてを受け入れる可能性の場を意味します。
この歌詞に出てくる「何もない世界」も、喪失ではなく「可能性の始まり」を示していると読むと、歌全体の意味がより深く響いてきます。
「嘘のない世界で嘘をつこう」―逆説に込められた愛の本質
終盤で歌われる「いつか嘘のない世界で はじめての嘘をつこう」という一節は、非常に印象的です。
通常「嘘」は否定的に捉えられますが、ここでの「嘘」は愛情の裏返しとして描かれている可能性があります。
たとえば「大丈夫」と口にする嘘や、「平気」と笑う嘘。それは相手を守るための小さな優しい嘘なのです。
つまり、この逆説的な表現は、「真実だけでは愛は語れない」ことを示しているのではないでしょうか。誠実さと同じくらい、時に必要な「嘘」もまた愛のかたちの一部である――そんな複雑な真理がここに込められています。

「嘘」という言葉の語源は、古語の「うそぶく(口を大げさに言う)」に由来します。
もともとは「誇張する」や「事実と違うことを言う」という意味で、必ずしも悪意を含む言葉ではありませんでした。
つまり「嘘」にはもともと「演じる」「飾る」といったニュアンスがあったのです。
この語源を踏まえると、歌詞の「嘘」もまた「愛を美しく演じる」という肯定的な意味合いを帯びてくるのです。
マカロニえんぴつ いつか何もない世界で 歌詞考察と豆知識 まとめ
『いつか何もない世界で』というタイトルは、ただの空虚を示しているのではなく、「純粋な愛がゼロから始まる場所」を意味していると考えられます。
夢の中で素顔を見せ合い、何もない世界で踊りながら愛し合い、嘘のない世界で優しい嘘をつく――。
そのすべては、人間が「愛を詠う」存在であることを描き出しています。
つまりこの歌は、「愛は真実と虚構のあいだにある」という逆説を提示し、世界がどうであれ歌い続ける愛の力を肯定しているのです。
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