歌詞考察|BE:FIRST『夢中』で描かれる“昭和モダンな愛情表現”とは?

音楽と豆知識
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この曲は4月24日から放送の木曜ドラマ『波うららかに、めおと日和』の主題歌となっています。

この記事では「BE:FIRST(ビーファースト)」の「夢中」の歌詞の意味について考察と歌詞に含まれるワードについての豆知識を書いています!

気軽に楽しみながら豆知識を増やしていきましょう〜!

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君に夢中 Say I Love You
僕の瞳に ずっといて
来世でも 前世でも
ずっと会いたくて
君に夢中 四六時中
ちゃんと言うから
ねえ 聞いて
何回でも 何万回でも
名前を 呼ぶよ

※歌詞は現時点で判明している部分を耳コピしたものになります。

それでは歌詞考察と豆知識を合わせて書いていきます!

「君に夢中」に込められた昭和的な愛の形

「君に夢中」は、まるで心の奥底から湧き上がる、真っ直ぐな愛情の告白のようです。
現代では少し照れくさいかもしれないこの言葉、実は昭和初期の恋愛において、とても重要な意味を持っていました。

【昭和的恋愛観】

豆知識専門家
豆知識専門家

「“夢中”って言葉、今は軽く使われるけど、昭和初期にはすごく重たい意味だったんだよ。」

生徒
生徒

「え、そうなの?なんか今だと『推しに夢中』とか、もっとカジュアルな印象あるけど。」

豆知識専門家
豆知識専門家

「当時の“夢中”って、“理性が吹き飛ぶくらい一心不乱になること”って意味が強くてね、特に恋愛に使うと『すべてを捨てても構わない』くらいの情熱の象徴だったんだ。」

生徒
生徒

「なるほど…交際ゼロ日婚って、その“理屈抜き”で始まる愛と重なるかも。」

豆知識専門家
豆知識専門家

そう、相手の過去や相性を超えて“夢中”になる。だからこの歌は、その時代にぴったりの告白なんだよ。

「来世でも 前世でも」の中にある、仏教的“縁”の考え方

「来世でも 前世でも ずっと会いたくて」というフレーズは、一見ロマンチックなだけに見えますが、実は日本の文化的背景が深く影響しています。

【仏教と縁の思想】

生徒
生徒

「“来世”や“前世”って、よく歌詞にあるけど、具体的にどういう意味で使われてるんだろう?」

豆知識専門家
豆知識専門家

「それは仏教の“輪廻”の概念が関係してるんだよ。人は死んでも魂は転生し続けるって考え方。」

生徒
生徒

「へえ~。じゃあ“来世でも会いたい”って、“死んでもまた出会える縁がある”ってこと?」

豆知識専門家
豆知識専門家

「まさにその通り。しかも“前世でも”って加えてるのがポイントで、“私たちはすでにどこかで出会ってる”っていう、いわば“宿縁”を強調してる。」

生徒
生徒

「ゼロ日婚なのにそんなに深い縁…まさに仏教的運命の恋だね。」

「何回でも 名前を呼ぶよ」が意味する“名前”の重みと昭和モダニズム

「名前を呼ぶ」という行為には、想像以上に大きな意味があります。
特に昭和初期の日本社会では、夫婦間であっても「名前を呼ぶ」ことはとても特別で、ある種の勇気が必要なものでした。

【名前を呼ぶという文化】

豆知識専門家
豆知識専門家

「昭和11年ごろって、男女間で下の名前を呼ぶのって、けっこうハードル高かったんだよ。」

生徒
生徒

「えっ、そうなの?普通に名前で呼び合うんじゃないの?」

豆知識専門家
豆知識専門家

「いや、当時は“あなた”とか“お前さん”とか、あとは苗字+さん付けが一般的。下の名前を呼ぶのは、すごく親密な関係の証だったの。」

生徒
生徒

「だから“何回でも名前を呼ぶ”っていうのは、ただの甘い言葉じゃなくて、本気の愛情表現なんだね。」

豆知識専門家
豆知識専門家

そう。交際期間がなくても名前を何度も呼びたくなるくらい、心が先に惹かれてしまう。“夢中”って、やっぱりすごい力だよね。

この楽曲のタイトル『夢中』は、昭和11年という時代背景ぴったりだと思います。
理屈や形式を超えた感情、相手の存在にただただ惹かれてしまう衝動。
それは交際ゼロ日婚という、現代から見ると非合理的な設定にすら説得力を与える“愛の原始的な形”なのかもしれません。

前世からの縁を信じ、名前を呼ぶことで確かめ合うふたり。
昭和モダンな風情の中で描かれるこの愛の物語に、『夢中』の歌詞は見事なまでに溶け込んでいます。
まさに、交わるべくして交わった歌と物語の“宿縁”を感じます。

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